阿倍野にて。

阿倍野にて。

24日の深夜、1時半くらいでしたか、
大阪市阿倍野区でハチ駆除依頼が。
1時くらいには現場マンションに到着し、
しばし管理会社の代理人をまっていると、
現場マンションの目の前が≪阿倍王子神社≫でした。
少し時間もあるとゆうことで見に行くことに・・・
深夜に神社にお参りするのもアレかと思いましたが、
つい寄ってきてしまいました

もと熊野街道とあります。
もと熊野街道とは・・・

だそうです。

≪阿部王子神社≫

 御由緒ごゆいしょについて

当神社の縁起絵巻えんぎえまき摂州東成郡阿倍権現縁記せっしゅうひがしなりぐんあべごんげんえんぎ」によれば、

当社は仁徳天皇にんとくてんのうによって創建そうけんされ、

平安時代へいあんじだいの初期、天長てんちょう3年(826)弘法大師空海こうぼうだいしくうかいが、

淳和天皇じゅんなてんのう勅命ちょくめいで当社に参り、疫難退散えきなんたいさん祈祷きとうしゅうしてこうなり、

疫病えきびょう治癒ちゆする寺という意味の「痾免寺あめんでら」(通阿倍つうあべ)の勅額ちょくがく

朝廷ちょうていよりたまわったとされています。

阿倍野あべのは古代の豪族「安倍氏あべし」の居住した土地で、

奈良時代ならじだいには安倍氏あべし氏寺うじでらとして阿部寺あべでらが存在しました。

この寺は口碑くひに「阿部寺千軒坊あべでらせんけんぼう」と残される程の

大寺たいじであったと伝えられています。

ところが平安時代へいあんじだいになると、安倍氏あべし朝廷ちょうていでの勢力を失い、

氏寺うじでら四天王寺してんのうじ併合へいごうされる事になりました。

残された安倍氏あべし氏神社うじがみのやしろでしたが、当時熊野信仰くまのしんこうおこり、

途中の街道に熊野九十九王子くまのきゅうじゅうきゅうおうじと呼ばれた沢山たくさん王子社おうじしゃが出来ると、

当社の所在地が四天王寺してんのうじ住吉大社すみよしたいしゃとの丁度中間に存在し、

王子社おうじしゃ立地りっち相応ふさわしいお宮でしたので、

当社の西門筋にしもんすじ熊野街道くまのかいどうが整備され、熊野王子社くまのおうじしゃの一つとなりました。

そこで当社は阿倍野あべの鎮座ちんざしますので、阿倍野王子あべのおうじと呼ばれました。

王子社おうじしゃの中には、熊野信仰くまのしんこう衰退すいたいと共に退転たいてんしたお宮も有りますが、

さいわい当社は中世以降、「阿倍野村あべのむら氏神うじがみ」として信仰され、

大阪府下では唯一ゆういつ旧地現存< rp>(きゅうちげんぞん王子社おうじしゃとして現在に至っております。

と、少しだけ抜粋してみました。
興味のある方はこちらを御覧下さい。
http://abeouji.tonosama.jp/